2012年05月28日
また、よろしく
日曜日の事ですが、息子が勤める会社の有志の方々の親睦会にお邪魔しました。
家族も「呼んで・・」ということで、息子に京都円山公園にある「左阿彌」招待してもら
った。(大きくなったものと感慨深いですわっ)

パンフには、東山の庵に左阿彌が誕生したのは元和元年のことらしく、織田信長の
甥である織田頼長により、安養寺の末寺として建てられたそうです。 先を読むと頼
長の父は、茶人の織田有楽斎。頼長も又、雲生寺道八と号し、この地で茶事を極め
たと云います。江戸時代、安養寺のある東山あたりは、遊興の地として大変なにぎ
わいでした。中でも左阿彌は、安養寺「円山の六坊」の一つと数えられ、文人墨客の
集うところとなり風流の限りが尽くされたと伝えられた。
その左阿彌が料亭を始めたのは嘉永二年。明治維新以降、御前会議に使われたこ
ともあり、有栖川総督宮や山県有朋参与が止宿され、頼山陽先生や土田麦僊画伯に
よってこよなく愛したそうだ。また、川端康成や志賀直哉の文豪を迎えた左阿彌。 京
都を描いた名作の作家らも、ここで京都の風情を楽しんだようだ。志賀直哉の小説に
も京都の料亭「左阿彌」が登場し『暗夜行路』では結婚式場として出てくる。

写真を撮って「紹介」しようと思っていたのですが・・・食べるのと話に夢中になってしま
って・・・一枚だけ。
ところ、知恩院、鷲峰山高台寺、祇園が近く、左阿彌が在る円山公園は、東山区にあ
る敷地約10万平方メールトルを誇る、回遊式庭園。広い園内には、野外音楽堂、坂
本竜馬・中岡慎太郎の銅像などがあり、公園のほぼ中央にはある有名な大きな枝垂
桜は、祇園しだれの名で親しまれている。 春には園内の各所に美しい桜が開花し、
大勢の花見客で大変賑い桜の名所でもある。

長楽館で、コーヒーを飲んでひと時を楽しんだが、この辺りは四季を通じて市民や東
山界隈を尋ねて歩く観光客の憩いの場となっている。
息子殿・・・・また、よろしく。
[ 榊原のりあき ホームページ ]
http://www.cypress.ne.jp/sakakibara/
[ 榊原のりあき フェイスブック ]
http://www.facebook.com/noriaki.sakakibara
[ ゆうゆうスポーツクラブ海南 ]
http://www.kainan.info/uu/
家族も「呼んで・・」ということで、息子に京都円山公園にある「左阿彌」招待してもら
った。(大きくなったものと感慨深いですわっ)

パンフには、東山の庵に左阿彌が誕生したのは元和元年のことらしく、織田信長の
甥である織田頼長により、安養寺の末寺として建てられたそうです。 先を読むと頼
長の父は、茶人の織田有楽斎。頼長も又、雲生寺道八と号し、この地で茶事を極め
たと云います。江戸時代、安養寺のある東山あたりは、遊興の地として大変なにぎ
わいでした。中でも左阿彌は、安養寺「円山の六坊」の一つと数えられ、文人墨客の
集うところとなり風流の限りが尽くされたと伝えられた。
その左阿彌が料亭を始めたのは嘉永二年。明治維新以降、御前会議に使われたこ
ともあり、有栖川総督宮や山県有朋参与が止宿され、頼山陽先生や土田麦僊画伯に
よってこよなく愛したそうだ。また、川端康成や志賀直哉の文豪を迎えた左阿彌。 京
都を描いた名作の作家らも、ここで京都の風情を楽しんだようだ。志賀直哉の小説に
も京都の料亭「左阿彌」が登場し『暗夜行路』では結婚式場として出てくる。

写真を撮って「紹介」しようと思っていたのですが・・・食べるのと話に夢中になってしま
って・・・一枚だけ。
ところ、知恩院、鷲峰山高台寺、祇園が近く、左阿彌が在る円山公園は、東山区にあ
る敷地約10万平方メールトルを誇る、回遊式庭園。広い園内には、野外音楽堂、坂
本竜馬・中岡慎太郎の銅像などがあり、公園のほぼ中央にはある有名な大きな枝垂
桜は、祇園しだれの名で親しまれている。 春には園内の各所に美しい桜が開花し、
大勢の花見客で大変賑い桜の名所でもある。

長楽館で、コーヒーを飲んでひと時を楽しんだが、この辺りは四季を通じて市民や東
山界隈を尋ねて歩く観光客の憩いの場となっている。
息子殿・・・・また、よろしく。
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Posted by サンマルクン at
21:28
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