2014年02月17日

梅一輪

とある住職の法話から知りました。

「梅一輪 一輪程のあたたかさ」




この俳句は、江戸時代の俳人服部嵐雪の作品で余りにも有名な句ですよね・・・

私は、長年この句を間違って解釈をしておりました。

梅の花が一輪一輪咲く(開く)ので暖かくなる、つまり春が来ると理解していたのですが、ある書物ではこの句を

「きびしい寒さの中で梅が一輪咲き、それを見るとほんのわずかではあるが、一輪ほどの暖かさが感じられる」と

の意味であると解釈されておりました。

梅の花が厳しい寒さの中で開花するさまは、人生にたとえられる。
 
私たちは、苦しい時、悲しい時、寂しい時に厳しい寒さの中に咲く「梅一輪」のけなげさと暖かさを感じとれればよ

いのでは・・・と言う教え。





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2014年02月14日

チョコちょこ食べます

バレンタインデーで、私もいただきました。。。。ありがとう!

ところで、最初にチョコを体験した日本人は、1617年に伊達政宗の密命でスペインにいった支

倉常長の一行であるとされます。彼らはヨーロッパにやってきたばかりのこの新しい飲み物を早

速体験しました。




次はもう明治になってしまいます。1873年岩倉全権大使団一行がフランスのリヨンでチョコレ

ート工場を見学、チョコレートを食べました。これはミルクチョコが発明される前ですから、今でい

えばブラックチョコのような感じのイーティングチョコであったと思われます。しかしこのわずか4

年後の1877年には東京米津風月堂が「千代古齢糖」を売り出し始めた言われます。

当時の日本ではチョコレートはあまり普及しなかったようです。「これは血汚齢糖といって牛の血

を固めて作ったお菓子だ」などという話が広まったのもこの頃のことです。むろん「牛の乳」がど

こかで間違って「牛の血」になってしまったのでしょう・・・・

チョコレートの普及は大正ロマンとともにやってきました。大正7年に森永がアメリカからチョコレ

ート製造施設を輸入、同15年には今度は明治がドイツから製造施設を輸入してこの2社がチョ

コレートの量産を始めます。しかし、時代はすぐに長い戦争に突入、両社とも材料に事欠くように

なり、特にカカオ豆の輸入ができなかったため、百合の球根だの脱脂大豆粉だのでココアマス

の代用品を作り、代用チョコレートを製造していました。ココア豆の輸入は戦争が終わってもすぐ

には認可されず、再開されたのは昭和26年になってからのことらしい。

甘党の私には美味しいチョコレートが食べられて幸せです。

沢山、頂いたのでチョコちょこ食べます!
 




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2014年02月12日

時代を感じさせます

今日、とある所で懐かしい草ヒロサニーを発見した。

やはりこれほどシャレた車はサニーだけ、とますます評判のスタイル。ノーズがグンと長く、テー

ルを思い切り短くしたサニーのプロポーションは、音速ジェット機と同じものです。加えて、シンプ

ルなライン、ナイーブな美しさ。この新鮮な美しさこそ、常に色あせることを知らない魅力です。

車の専門家はもちろん、ご婦人層からお子さまの間にまで、これほど歓迎されている車は、今

までに例を見ません。




当時のコマーシャルメッセージ・・・何とも凄いですねぇ~

おまけに、まだまだ続きます!

観・室内・性能、この三つの要素が一体となって作り上げたサニー1000の魅力は、やはり10

00CC本格的乗用車ならではのものです。忘れてはならない燃費と維持費も、サニーならエン

ジン容積は1000CCちょうどですから全くムダがありません。

1リットルで23㎞(公式テスト)も走る800CC車なみの経済性に加え、性能は群を抜いて第一

級。すばらしい出足、シャープなステヤリング、そして日産の特許に輝くサスペンション、さらに

広々とした室内は、明るく爽やかな5人乗りです。「技術の日産」とおホメ頂く我国最大のメーカ

ーが、その実力を余すところなく結集した絶対の自信作です。

ファミリーカーの主流が1000ccに固定しはじめた我国において、サニーは「1家に1台」時代の

主役をつとめます。

1000CCで56~60馬力ぐらいでしたかね。それに、今では一家に1台ではなく一人に1台の

時代となりました。。。。。全てに時代を感じさせます。





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Posted by サンマルクン at 23:35Comments(0)

2014年02月09日

もうそこまで・・・

今日、春の息吹を感じました。

寒い日が続いていますが、その寒さの中でも咲き始めています・・・春を感じます。




また、国有数の野生スイセン群生地として知られる由良町の白崎海岸で、約10万本といわれ

るスイセンが見頃を迎え八重咲きや一重咲きのニホンスイセンが、「県立白崎青少年の家」やそ

の先の番所山、海岸沿いなどで見られると言う。

春はもうそこまでやってきていますね。







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2014年02月07日

北方領土の日

安政元年12月21日、日露和親条約が結ばれそれまで曖昧であった日本とロシアの国境線が

明確にされました。この日はグレゴリウス暦に直すと1855年2月7日になりますので、2月7日

を北方領土の日としています。




日本とロシアの間で問題となったのは、千島列島(クリル諸島)と樺太(サハリン)でした。特にや

っかいだったのは以前は樺太とサハリンが同じ島とは知られておらず、日本は樺太を、ロシアは

サハリンをそれぞれ領有していると思いこんでいたことでした。しかし調査の結果これが同じ島

であることが分かり、この件は両者の懸案となっていました。

日本人ならこの南千島の地理について、少しは知っておきましょう。

まず、北方四島とは、国後・歯舞・色丹・択捉です。

最大の択捉島は3000平方km。四国の6分の1という巨大サイズ。国後島も1500平方km。こ

の2つは本州・北海道・九州・四国につぎ、日本で5番目と6番目に大きい島です。7位が沖縄

島で1200平方km。色丹島は250平方km。徳之島と同じくらいの面積。

根室おきにまず国後島があり、その先に択捉島があります。国後島の北東端から南東に行った

ところに色丹島があります。歯舞諸島は根室半島の先端・納沙布岬と色丹島の間に散在する諸

島です。大きい島では、根室側から水晶島、秋勇留島、勇留島、志発島、多楽島などがありま

す。

水晶島のそばにゴメ島、南に萠茂尻島、オドケ島、貝殻島、志発島の南にハルカリモシリ島、多

楽島のそばにカブ島、少し南東に海馬島・カブト島・カナクソ島、このほか更に地図からは名前

が拾えない小さな島が多数あります。





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2014年02月04日

コタツにみかん

数日、暖かな日が続きましたが、今日(4日)からまた、寒さが戻りました。

暖かなコタツが恋しく、冬の必需品と思っていた電気コタツの生産が激減しているとか・・・

エアコンが普及したほか、部屋の保温性が高くなり、和室が減るなどしたためとみられる。




一方、昔はコタツの上に必ずと言っていいほど置かれていたみかんの出荷量も大きく減少して

いるのだ。ほかの果物や菓子などスイーツが多様化したことも原因として考えられるが、こたつ

とみかんの減少に相関関係があるとの仮説を立て、オフィスなどのデスクやテーブルの上にみ

かんを置く運動も現れている。美味しいみかん!忘れちゃ~いけません。

いずれにしても、こたつとみかんという当たり前だった冬の日常が、過去のものになりつつある。

農林水産省の統計では、みかんの出荷量は昭和48年に約305万トンだったが、徐々に減少。

平成2年には半分以下の約148万トンにまで落ち込んだ。さらに、14年には100万トンを割り

込む99万6500トンを記録。15、17年は100万トンを超えたものの、傾向は変わらず、24年

は約75万7千トンにまで縮小した。昭和48年と比べると、5分の1近くになっているのだと言う。

コタツにみかん、日本の冬・・・大好きなんだけどなぁ~





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Posted by サンマルクン at 21:38Comments(0)

2014年02月02日

節分の日ですね

明日、2月3日は節分の日ですね。




スーパーなどに行くと、「節分用太巻き」というのが売ってあります。

節分の夜にその年の恵方を向いて、太い巻き寿司をらっぱでも吹くかのようにくわえ、無言で食

うと、1年間よいことがあるのだそうです。もともとは愛知県の方の風習らしいのですが(大阪起

源説もあり)、1977年に大阪海苔問屋協同組合が節分のイベントとして道頓堀で実施したのを

マスコミが取り上げ、早速全国のお寿司屋さんがそれに便乗して全国に広まったということのよ

うです。今ではスーパーや百貨店ではこの太巻き(恵方巻き)が大量に売れ、すっかり節分の行

事として定着しました。

なお、恵方(えほう,あきのかた)というのはその年に美しき歳徳神(としとくじん)がいる方角

で、2014年は甲の方位(東北東・東のやや北より)です。 巻き寿司を使うのは「福を巻き込む」

からで、「縁を切らないために包丁を入れない」ということで、まるごと食べることになったようで

す。明日の夜の食事は「巻き寿司」と決まりました。



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