2013年08月13日

同じ阿呆なら

その昔、一度だけ踊る阿呆になったことがある。。15日まで徳島で阿波踊りが開催されます。

アー エライヤッチャ エライヤッチャ ヨイヨイヨイヨイ踊る阿呆に見る阿呆 同じ阿呆なら踊らな

損々 阿波の殿様蜂須賀公が 今に残せし阿波おどりひょうたんばかりが浮きものか 私の心

も浮いてきた踊りおどらば しなよくおどれ しなのよいのを嫁にとる・・・・・・といった七七七五

調のはやしことばを「よしこの」のリズムにのせて、人々は歌い踊り興じます。(この「よしこの」

から都々逸が生まれたともいわれています)

同じ阿呆なら



リオのカーニバルと比較する人があるほどエネルギッシュなお祭り。連日、夕方から夜10時半

頃まで、町には鉦・鼓・締め太鼓・大太鼓・笛・三味線といった鳴り物の音があふれ、人々の熱

狂が市街を埋め尽くします。動員される人数は参加者・見物人ともに全国屈指とされます。

阿波踊りは「連」と呼ばれる数十人単位の踊りのグループによって踊られます。徳島市内では

数十個の連が活動しており、それぞれに特色と伝統があります。また全国の他の地域で活動し

ていてこの時期徳島にやってきて踊る連もあります。娯楽平・殿様連・阿呆連などは有名どころ

のようです。

踊り方には一応基本があり、男踊りと女踊りでは異なっていてその上で更に飛び踊り・扇子踊

り・提灯踊りなどといった上級技があって、これも始めるとなかなか奥が深いようです。踊り方が

しっかりとして、こういった上級技までできるようになるには数十年かかるという話もあります。

阿波踊りのルーツについては歌にも歌われている蜂須賀家政が1578年に徳島城を建てた

時、その祝賀行事として始まったという説が流布していますが、民俗学者の間では盆踊りや浮

流がルーツではないかという説もあります。「連」が形成されはじめたのは幕末の頃のようで

す。私が踊ったように、連に入っていない人でも当日「にわか連」に参加して簡単な踊りの講習

を受けてから町に出たり、あるいは踊り広場や街角広場で直接飛び込みで踊りに参加すること

もできる。





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Posted by サンマルクン at 10:41│Comments(0)
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