2012年08月26日
凄い技術?
我が家は日頃から、チキンラーメン、ラ王とか写真に写る色々なインスタントラーメンを置いている。
その日は過ぎましたが、確か8月25日は「ラーメンの日」だった。
1958年8月25日、日清食品はお湯を掛けたら2分で食べられる即席ラーメン「チキンラーメン」を発
売しました。これを世界初のインスタントラーメンとしています。
チキンラーメンを開発したのは安藤百福さんというお方です。安藤さんは元々銀行マンだったのです
が、戦後の厳しい経済情勢の中で銀行が倒産、何か仕事をしなければというので、最初自宅の裏庭
でインスタントラーメンの開発を始めました。「お湯をかけただけで食べられるようになる」そのコンセ
プトが実現するまで安藤さんの家族は毎日のように失敗作のラーメンを食べさせられる日々が続きま
した。保存性がよく、工場で量産が可能で、おいしい、そういう線に到達するまではたいへんな道のり
であったようです。(ちなみに安藤さんの日清食品と、皇后様の実家の日清製粉とは無関係です。こ
れもよくある誤解。富士銀行と富士通が無関係なのと同じ。富士も日清もよくある名前です。富士通
などは古河+ジーメンスで「フジ」ですね。という訳で皇后様がこの失敗作のラーメンを食べていた訳
ではないです)
価格もできるだけ安くしようとしたのですが、35円にするのが限界でした。当時うどん玉が1個6円で
買えた時にこの35円という値段には、多くの人が事業的な成功には否定的でしたが、実際には大ヒ
ットとなり、昭和40年代へ続く、インスタント文化のさきがけとなったのです。1960年に森永からイン
スタントコーヒー、少し遅れて1968年にボンカレーが生まれています。
日清のチキンラーメンの翌年1959年に発売されて、インスタントラーメンの老舗二大ブランドとされ
るのがマルタイの棒ラーメンです。マルタイは元々小さな町のラーメン屋さんでした。あまり店は流行
ってなかったのですが、ある時その店に来たお客が「まずい!」と叫び、店の主人に「オレがもっとう
まいラーメン作ってやるから調理場を貸せ」と言いました。その客?の勢いに負けた主人が調理場を
貸すと、それはほんとにおいしい、ラーメンを作ってくれたのです。店の主人はぜひ自分を弟子にして
欲しいとその客に言い、その人は結局2~3ヶ月程その店に滞在して、作り方の指導をしてくれまし
た。結局名前を名乗ることなく、その店を去っていた、その「さすらいの料理人」のおかげで、店は味
がいいと評判になり、人気を博します。そこで、そのラーメンを一般の家庭でも味わってもらおうと作
ったのがこの棒ラーメンでした。
こちらは日清のチキンラーメンのようにお湯を掛けたらできるという訳ではなく鍋で煮込む必要があり
ますが、作成にかかる時間を考えると、十分インスタントの領域に入っています。マルタイの棒ラーメ
ンはスープが別添え方式ですが、結果的にはその後この別添え方式が主流になっていきます。その
流れを作ったのは1962年東洋水産の「マルちゃんハイラーメン」です。1971年には日清が「カップ
ヌードル」を出して、新たなコンセプトのジャンルが確立します。
新しいデータは手元にないのですが、1999年のインスタトンラーメンの生産量は袋麺20億食、カッ
プ麺30億食の合計50億食。国民ひとりあたり40個くらいの計算になります。なお、インスタントラー
メンに関する最もよくある誤解は「保存料が入ってるからからだに悪い」というもの。インスタントラーメ
ンは干し椎茸や高野豆腐などと同じ乾燥食品ですので、保存料は入っていません。
今では、ややもするとお店で食べるよりも、インスタントラーメン方が「美味しい」ということもあります
ね。凄い技術?の進歩ですね。
[ 榊原のりあき ホームページ ]
http://www.cypress.ne.jp/sakakibara/
[ 榊原のりあき フェイスブック ]
http://www.facebook.com/noriaki.sakakibara
[ ゆうゆうスポーツクラブ海南 ]
http://www.kainan.info/uu/
その日は過ぎましたが、確か8月25日は「ラーメンの日」だった。
1958年8月25日、日清食品はお湯を掛けたら2分で食べられる即席ラーメン「チキンラーメン」を発
売しました。これを世界初のインスタントラーメンとしています。
チキンラーメンを開発したのは安藤百福さんというお方です。安藤さんは元々銀行マンだったのです
が、戦後の厳しい経済情勢の中で銀行が倒産、何か仕事をしなければというので、最初自宅の裏庭
でインスタントラーメンの開発を始めました。「お湯をかけただけで食べられるようになる」そのコンセ
プトが実現するまで安藤さんの家族は毎日のように失敗作のラーメンを食べさせられる日々が続きま
した。保存性がよく、工場で量産が可能で、おいしい、そういう線に到達するまではたいへんな道のり
であったようです。(ちなみに安藤さんの日清食品と、皇后様の実家の日清製粉とは無関係です。こ
れもよくある誤解。富士銀行と富士通が無関係なのと同じ。富士も日清もよくある名前です。富士通
などは古河+ジーメンスで「フジ」ですね。という訳で皇后様がこの失敗作のラーメンを食べていた訳
ではないです)
価格もできるだけ安くしようとしたのですが、35円にするのが限界でした。当時うどん玉が1個6円で
買えた時にこの35円という値段には、多くの人が事業的な成功には否定的でしたが、実際には大ヒ
ットとなり、昭和40年代へ続く、インスタント文化のさきがけとなったのです。1960年に森永からイン
スタントコーヒー、少し遅れて1968年にボンカレーが生まれています。
日清のチキンラーメンの翌年1959年に発売されて、インスタントラーメンの老舗二大ブランドとされ
るのがマルタイの棒ラーメンです。マルタイは元々小さな町のラーメン屋さんでした。あまり店は流行
ってなかったのですが、ある時その店に来たお客が「まずい!」と叫び、店の主人に「オレがもっとう
まいラーメン作ってやるから調理場を貸せ」と言いました。その客?の勢いに負けた主人が調理場を
貸すと、それはほんとにおいしい、ラーメンを作ってくれたのです。店の主人はぜひ自分を弟子にして
欲しいとその客に言い、その人は結局2~3ヶ月程その店に滞在して、作り方の指導をしてくれまし
た。結局名前を名乗ることなく、その店を去っていた、その「さすらいの料理人」のおかげで、店は味
がいいと評判になり、人気を博します。そこで、そのラーメンを一般の家庭でも味わってもらおうと作
ったのがこの棒ラーメンでした。
こちらは日清のチキンラーメンのようにお湯を掛けたらできるという訳ではなく鍋で煮込む必要があり
ますが、作成にかかる時間を考えると、十分インスタントの領域に入っています。マルタイの棒ラーメ
ンはスープが別添え方式ですが、結果的にはその後この別添え方式が主流になっていきます。その
流れを作ったのは1962年東洋水産の「マルちゃんハイラーメン」です。1971年には日清が「カップ
ヌードル」を出して、新たなコンセプトのジャンルが確立します。
新しいデータは手元にないのですが、1999年のインスタトンラーメンの生産量は袋麺20億食、カッ
プ麺30億食の合計50億食。国民ひとりあたり40個くらいの計算になります。なお、インスタントラー
メンに関する最もよくある誤解は「保存料が入ってるからからだに悪い」というもの。インスタントラーメ
ンは干し椎茸や高野豆腐などと同じ乾燥食品ですので、保存料は入っていません。
今では、ややもするとお店で食べるよりも、インスタントラーメン方が「美味しい」ということもあります
ね。凄い技術?の進歩ですね。
[ 榊原のりあき ホームページ ]
http://www.cypress.ne.jp/sakakibara/
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[ ゆうゆうスポーツクラブ海南 ]
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Posted by サンマルクン at 17:53│Comments(0)