2010年02月18日
原点である
知り合いのバイク店の前を通りかかったのですが、懐かしいバイクが2台店内に置かれている
のが見えたので、バイク好きなら(当然?)見ないわけには参りません。仕事も後回しにして
眺めに入りました。
珍しいくタンクにかカワサキのマークがありながらグリップパットは懐かしい名前のメグロ。
メーカー名が二つで不可解ですが、目黒製作所と言うれっきとしたメーカー名であり、カワサ
キの4サイクルエンジン、そしてKawasaki重量車のフレーム溶接技術はメグロから引
き継がれたものといっても過言ではありません。川崎航空機と業務提携をおこない昭和37年
には川崎航空機が資本参入し、カワサキメグロ製作所へ社名変更。昭和39年、カワサキメグ
ロ製作所倒産により川崎航空機に吸収される形でメグロというメーカーの幕は閉じたのでした
でも、それを知るバイクファンも少なくなしました。
16歳で二輪免許をいただき、ス-パーカブが本田総一郎との出会いであった。その後ホンダ
CB250に乗り、CB450などと乗り継ぎましたが、今となっては更に懐かしく思えるの
は商用車にアップマフラーをつけた画像のバイクだ。だって、子どもの頃のヒーロー月光仮面
がそれに跨り悪党をにやってくるのです。
ホンダドリーム・・・あの昭和の天才独創家・本田総一郎が「夢」を託して命名。
1991年8月5日、84歳で永眠するまで夢を追いかけた総一郎は、第1回全国自動車競走
大会で飛行機エンジンを改良し弟と二人で参加した。その時記録した最高時速120キロは当
時驚異的なスピードでその後約20年間その記録は破られることはなかったそうだ。当時の自
動車には安全ベルトがなく大会での事故で弟と共に投げ飛ばされ運良く一命を取りとめた。目
覚めたときに当時の看護師が「よく目が覚めたわね」と宗一郎に言った。この事故以降、宗一
郎は自分で操縦してレースに参加することはなくなった。
そんなエピソードやたくさんの語録などを残している。
S600、S800スポーツにも 乗りましたが、バイクや車ファンに大きな夢を与えてくれた
私のバイク・車好きの原点である。
[ 榊原のりあき ホームページ ]
http://www.cypress.ne.jp/sakakibara/
Posted by サンマルクン at 21:08│Comments(0)